甲州流柔術 師範代
宇部 由紀乃(うべ ゆきの)
【ご挨拶】
ホームページをご覧いただきまして、ありがとうございます。
私は2020年9月まで国家公務員として勤め、現在、古武術道場甲州流柔術の師範代として、主に新宿にて教室を開講しながら、自身も日々修行に励んでおります。
当流では、老若男女、様々な方が様々な目的で古武術を学んでいますが、私は特に女性の方におすすめしています。
仕事、家事、育児、介護・・・女性の役割は多く、近年では更なる社会進出、活躍が求められています。心身の疲労やストレスはかなりのものです。
当流の稽古は、心身を強く、しなやかに鍛えるとともに、自身の内面をも高め、日々の生活に活力を与えるものであると自信を持っております。
身体が強くなれば、心が強くなります。自信がつき、余裕が生まれます。自分を好きに、大切にできるようになります。そして他人にも優しくなれます。
ぜひ一度体験にお越しください。皆様とお会いできる日を楽しみにしております。
略歴
1983年 宮城県仙台市生まれ
1987年 仙台ノイエタンツ研究所にてモダンバレエを習う(19歳まで各公演に出演)
2008年 東北大学大学院理学研究科修了
2008年 農林水産省入省
2018年 古武術道場「甲州流柔術」入門、埴原有希士師範に師事
2020年9月 農林水産省退職
2020年10月 甲州流柔術指導者として活動開始
著書:元キャリア官僚の私が、古武術に命を救われた話
以下に私がどのようにして古武術と出会い、指導者を志したかを記載しています。
よろしければご覧ください!
20代まで
幼い頃はダンスに打ち込み、学生時代は研究一筋、真面目な努力家でした。武道や格闘技の経験は全くありませんでしたが、幼い頃は時代劇をよく観ていました。女性を主人公としたアクション映画も好きでした。カッコイイ殺陣や戦うことができる女性に憧れを持っていたのだと思います。
大学時代の専攻は化学。負けず嫌いな性格で人一倍勉強し、結果を出すために夜中まで研究に打ち込みました。研究も好きでしたが、もっと様々な人と関わりながら仕事がしたいという思いから、多くの同期が化学メーカーに就職したり、博士課程に進む中、公務員という仕事を選びました。
農林水産省では、食品をより安全なものにするためのリスク管理という仕事に携わりました。正確さやスピード感、専門知識はもちろん、多くの機関や業界との調整力やコミュニケーション力が求められる国家公務員の仕事はとても厳しいものでした。夜中まで働くこともしばしば。それでも仲間に恵まれ、真面目な私はただ必死に走り続けました。しかし、走り続けることができたのは、子供が生まれるまででした。
古武術との出会い
子供が生まれて、仕事に復帰してからは、とにかく大変でした。働いているお母さんは皆そうだと思います。夫は毎日終電帰りでほとんど育児に参加できずでしたが、幸いにも頼れる両親のすぐ近くに住んでおり、多くのお母さんよりずっと恵まれた環境でした。しかし、それでも本当に大変でした。真面目で完璧主義な性格で、仕事も育児もしっかりやらねばと自分を追い込み、できていない自分に苦しみました。
とにかくストレス過多な毎日・・・このままでは自分が壊れ、子供にも悪い影響を与える・・・何とかしなくては!私が取り組んだのは、気持ちを切り替えるために自分の時間を作り、何か新しいことを始めること。当時、次男はまだ2歳。週末のたった数時間ですが、子供と離れる不安や自分だけ出かけることへの罪悪感があり、これだけでも大変な決断でした。
(ダンスをまた始めるか・・・いや、現状打破のために全く新しいことをしたい。そういえば、小さい頃は殺陣に憧れていたなぁ・・・)ネットで検索をするうちに、たどり着いたのが甲州流柔術でした。今までに経験したことのない独特の世界でした。武道の練習でよく見かける掛け声や気合いを入れたりということはなく、ただ静かに、自然に繰り出されていく技。師範の動きがとにかく美しかったです。無駄を削ぎ落とし、理に適った柔らかくも力強い動き。ダンスを長年やってきた私は、まずその動きに魅了されました。
訪れた変化
毎週日曜日に2時間の集団稽古。時間とお金があったら毎日でもやりたい!と思うほど、稽古が楽しくて仕方ありませんでした。もっともっとできるようになりたい・・・月2回、集団稽古後に師範から個人指導を受けるようになりました。ダンスで培った体幹の良さ、一直線な性格もあって、入門して一年で目録(武道でいう三段程度)認可を受けました。
身体が強くなる以上の変化もありました。稽古では当然体力を使いますし、時間も取られ忙しくなりましたが、生活にもメンタルにも全てプラスに働きました。以前は平日の過労で週末はぐったりしていましたが、体調が整い、ストレスも発散でき、元気に活動できるようになりました。
また、当流の中庸(ちゅうよう)と陰陽の考え方に、大きく影響を受けました。陰陽とは、物事には常に2つの面が存在するという考え方です。当然、人にも良い面と悪い面が。陽の面が強ければ、それと同じだけ陰の部分も併せ持つ。自分や物事の悪い部分だけにとらわれないこと。それは悪い部分に蓋をするのではなく、しっかりと受けて止めることで、陽の面を妨げないように対処することができる。常に陽と陰の真ん中に立つことで、バランス感覚を持って正しく物事に対処することができる。これが中庸です。
いつも全力で仕事も育児もやらなきゃいけない、できない自分はダメな自分、そう思っていた私の心に深く響きました。ダメな部分もあって当然。できることもあれば、できないこともある。仕事や子供のために全力を出す時もあれば、自分のために全力を出す時もあっていい。どちらもあって当然。当たり前のことと言われればそうなのですが、この考え方に、私は本当に救われました。
指導者への道
これは自分が一生をかけて学んでいくものだ・・・そう感じたのは入門して1ヶ月経った頃。後に指導員を任され、もともと教えることは好きでしたが、仲間が生き生きと学び、上達していくことに喜びを感じました。もっと多くの人に古武術の良さを知ってもらいたい、自分のように古武術に救われる人もいるかもしれない。指導者として、古武術を通して人の役に立つことが、自分の使命と思うようになりました。
転職の決断は簡単ではありませんでした。公務員として12年間積み上げてきたものへの誇り、同僚とのつながりや感謝もありました。
しかし、それ以上に、一生をかけてやりたいという志が定まったこと、押し潰されそうになっていた自分を救い、一歩踏み出す勇気を与えてくれた甲州流柔術と師匠への感謝、次は自分が後進につないでいきたいという思いがありました。
2020年10月、私は農林水産省を退職し、甲州流柔術の指導者として一歩を踏み出しました。現在、師範代として、自身も日々修行に励みながら、主に新宿にて、初心向けのクラス、シニア向けの健康クラス、小学生クラスを担当しています。
ちなみに、私は日本一の弓道師範といわれている、大平善蔵(1874〜1952、会津出身)のひ孫です。曾祖父に会ったことはありませんが、私の中にも会津の血が流れていることを感じています。